2018-05-15 第196回国会 参議院 総務委員会 第8号
山村社長は、幾ら時代が進んでも線がなくなることはないとおっしゃったんですね。なるほど、電気通信事業者にとって電話線、電話網は命なのだと感じました。 そうなると、電話線や設備を維持管理するための技術や技能を持つ労働者を養成することは非常に重要だと思うわけですが、その点、NTTとしてどうされているんですかと聞きますと、山村社長は、線をつなぐなどの保守管理は外注しているというお答えでした。
山村社長は、幾ら時代が進んでも線がなくなることはないとおっしゃったんですね。なるほど、電気通信事業者にとって電話線、電話網は命なのだと感じました。 そうなると、電話線や設備を維持管理するための技術や技能を持つ労働者を養成することは非常に重要だと思うわけですが、その点、NTTとしてどうされているんですかと聞きますと、山村社長は、線をつなぐなどの保守管理は外注しているというお答えでした。
この道路整備五カ年計画が最初に二十九年にスタートしたときは予算が一兆円、幾ら時代が動いたといっても今は七十八兆円という、七十八倍に膨らんだ。
こんなに大きな、大きな解釈で認めろと言われたって、私たちが教わったときの解釈とまるっきり違うというのは、幾ら時代が変わったからといって、私は無理だと思うのです。解釈というのはそういうものでしょうか。 よく憲法の変遷なんということも言うけれども、その変遷が内容をがらっと変えるものであってはならないと私は法律学では教わってまいりました。私は、歌だってそうだと思うのです。
一億円の貸し借りという重大なときに実印を押すという行為は、あなたにとって幾ら時代が古くても、鮮明に覚えていなければおかしい。これはどういうふうに考えても、あなたの今の発言は納得できません。 それから、あなたはこの一億円の利子について、おおむね貸付金台帳に載っているように支払った、こうおつしゃったのですよね、最初国会で。十二月十五日にあなたの提出した資料の中でもそう書いてあるのですよ。
と申しますのは、余分なことでございますけれども、幾ら時代が変わったにしても、あるいはテレビ、ラジオその他発達いたしましても、一人一人の子供に対応した教育という活動においては、生徒がなければ教育は成り立ちません。学ぶ生徒児童のない教育というのが成り立たないのと同じように、教師のない教育ということも、これは成り立たない、こう私どもは理解しております。
幾ら時代が変わっても油やらお金のコインを食べるわけにいきません。農業というのは、やはり国民の生存のための基盤産業でなくてはいけません。そういった意味で、そういった自給率を上げるために私は真剣に考えてもらいたい。いわゆる小麦、それから大豆の問題、それから飼料作物、わけても飼料水稲、稲作、こういったものに対して相当力を入れてもらいたいと思う。
それは幾ら、時代がそう急激に変化しているわけじゃないですから、もうかっている。もうかっているものをうちでやれたらやりたいという素朴な感情を私は当然持つだろう、こう言い切っているんです。しかし、まあそれにはいろんな理由があるでしょう、向こうも向こうの状態もあるし、モチ屋はモチ屋だという意見もあるし。
幾ら時代が進歩いたしましても、郵便物だけは昔と同じく個別に配達していただくことは、御苦労なことと思います。 四十六年に郵便料金が改正され、今日まで約一千四百億円の赤字だと聞いておりますが、その赤字の内容は九割までが人件費だそうでございますが、郵便法に基づきその経費は独立採算のたてまえにより利用者より負担するのが当然だと私は思うのでございます。
しまいには今度は赤ん坊の番組になってしまうんではないかというぐらいで、幾ら時代の風潮とはいいながら、これはNHKに言うべき問題じゃないかもしれない。歌手協会に言うべきかもしれませんが、どうぞそういうところを、NHKというものの力を認めていますから、NHKのほうから語りかけて、おとなの歌手をどんどん採用するように——歌手ばかりではありませんが、特に歌手がそうです。